昔話
2012-10-20


今更ですが、少し自己紹介!!

俺のモータースポーツ人生

小学校時代に兄貴が持っていたポケバイをコッソリ乗り回し
速くする為、リードバルブ周りをいじったら、劇的に変わったのを
今でも強烈に覚えている。

サーキットデビューは所沢サーキット
今知っているい人少ないだろうな?

小学生時代に、親戚の叔父さんに貰ったCB50を
適当にイジッて走らせた。ガキだったのでお金も無く
パーツも買えず、メインジェットをキリで適当に拡大して
パワーが上がると思っていたが、4歳年上の兄貴と一緒に行ったとき
コレじゃかぶって走らねぇと怒られ、道端で拾った小枝をメインジェットに
刺して調整をして、兄貴が当時最速だったRZ50を抜いた瞬間を
目撃した時の衝撃を今でも鮮明に覚えている!(その後飛んだけど)

それからチューニングやセッティングを独自に覚えて
中学生時代には、四街道時代の新東京サーキットで
CB50独自チューニングのマシンで、RZ50のノーマルクラスと
対等に走っていました。

高校生時代は免許を取り、兄貴のRZ350で峠デビュー
絶対的な操りやすさを考え、RZ125(2期型)を購入し
週5日奥多摩近辺に走りに行っていました。
この頃から、バイクもツナギもメットも黄色でした。

高校時代に調子に乗って、高速道路(インター)で単独事故を
起こし入院・・骨折と神経断絶・・・そのまま休学・・・・

半年以上のリハビリをし、高校復学と同時にレースデビュー
高校2年生を2回やりましたが、人生最高潮と思えた時代

この頃、世の中はバブル全盛期
そのおこぼれに預かり、レーシングチーム設立
ガレージに工作機械を入れて、自分でワンオフパーツなどを製作
RZ50の後方排気を試作したのもこの時代です。

レースではRZ125を使ったSP125から始まり
ノービスクラスでRS125まで乗りました。
(フリーではTZ250も乗ったが・・・)
セッティング&モデファイ能力にたけていたのか
直線では負けることが無いマシンに乗っていましたが
レースウィークでの転倒率が7割近い俺・・・・
一か八かの状態だったので、成績もイマイチ・・・・
最後は人生初めての予選落ちにめげてレース引退
(参加100台前後、予選通過30数台)

十数年後、当時の仲間が(これが力技システム)
ミニバイクレースを続けていたのをきっかけに
モータースポーツ界に復帰
バイクは転ぶからイヤじゃと言って
嫁と2人でカートを始めて、今のメンバーと知り合いました。

それからは乗り手と言うより、作り手
今じゃレースでは、まったくマシンに乗りません。
乗れば1割以上遅いですが、エンジンフィーリングや
車体フィーリングはつかめます!(完璧ではないけど)

絶対的ペースは遅いですが、速く走ったらこんな感じじゃね?
的な部分は、つかめる自信があります。
(まぁもう乗らないと思っていますが)

ポケバイから2ストのチューニングを覚え
中学生の頃には、4ストのチューニング理論を
独自に考えてやっていた経験が、今も役に立っています。

専門的な勉強をしたことは無いですが、独学でやってきた
30年以上の経験が、今の楽しみに役立っています!!

自分本業は建築屋です。
モータースポーツは趣味です。
でも力技システムは本気です。
しかし力技システムは法人ではありません。
なので力技システムで儲けているわけではございません。
本気でモータースポーツを楽しんでいる仲間のチームです。
他チームエンジンを速くして、利益を得る事を目標とはしていません。
では何故やるのか!!

真剣にモータースポーツを楽しんでる奴らが好きだから

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